「高瀬舟」森 鴎外

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“テカリのない濃いい青の紙”を表紙に、共函も同じ紙で作る、と決めたところで、
どの程度「濃い」ほうがいいのか?
そもそも「濃い青×白字は絶対か?」
などとグルグル考えはじめ、いくつかの紙を使って試作をしてみました。

左側に寝せてあるものは里紙にインクジェットプリンターの黒インクで出力したものです。これもこれで落ち着くなあ、などと迷ってみたりもしましたが、右側に立てて並べたなかから本番用の一冊が選びだされました。

使用した紙はそれぞれ左からビオトープ、TANT、NTラシャ。TANTの表面の凹凸がおもしろくもあり、NTラシャの「紙感」高めでシルクスクリーンのインキのりがほどほどなところも気にいりました。…が、ご覧のとおり圧倒的に黒めな左端、ビオトープが今回抱いたイメージにもっとも近かったようです。

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鴎外といえば「舞姫」はドイヒーである、みたいな議論もあるようですが、この「高瀬舟」も末尾の一文の前に、自分の胸の内に生じた疑念を振り払って「オオトリテエ」に従おう、という同心の内心が描かれていたりします。美的世界というよりは今日でいうところのサラリーマン的な感覚が見えて、喜助の「お上にある意味救われてしまった」しんどさとの対比が、物語の理想を裏切るところでもあります。個人が幸せを追求したり、正義を発揮したりするにはまだ早い。

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抱いたイメージを具現化しつつ、イメージの無理なところを矯正したり、おぎなったり、また思ってもいないことがわかったり、試作にはさまざまな意味があり、考えながら手を動かすことが重要だな〜と、何を作るにも思う日々であります。頭の中で考えた段階でかなりのイメージが固まるとはいえ、そこで完結することはないわけです。

初学の頃は失敗が残念で、悔しくて、素材が減るのがもったいなかった(笑)ものです。今は失敗もコミコミと考えています。手を動かして→考える。制作はその繰り返しです。